先日、今井むつみ著『学力喪失-認知科学による回復への道筋』を読んだ際に得た知見を、塾の保護者のEさんとシェアしました。この本は、子どもの「学び」について考える上で非常に示唆に富む内容で、教育現場が抱える課題と私たちがどう向き合うべきかについて多くのヒントを与えてくれました。
子どもが勉強できない理由は本当に「努力不足」か?
本書では、長年議論されている「子どもが算数文章題を解けない」問題を例に、教育の現場や制度が抱える構造的な課題を指摘しています。統一テストの得点が「学力」として扱われていまい、その結果だけを評価する教育体制では、子どもの「学びたい意欲」や「本来の学びの本質」が無視されがちです。
このような環境下では、現代に求められる知識や能力と子どもの特性がマッチしない場合、その子どもは生きづらさを抱えることになる、と著者は警鐘を鳴らしています。
たとえば、学校教育では「論理的思考力」や「計算力」といった能力が重視されますが、これらが苦手な子どもにとっては、授業内容を理解することが難しく、十分な結果を残せない可能性があります。一方で、創造的な活動や実践的なスキルに優れた子どもが、それらを評価される機会が少ないために、自分の能力を発揮しにくいことも課題の一つです。
日本の教育現場では、依然として暗記重視の傾向が見られます。そのため、黙々と一人で学習に集中できる子どもは比較的有利な立場にありますが、グループでの協働や実践的な課題解決を得意とする子どもにとっては、能力を発揮する場が限定されていると言えるでしょう。
このように、教育内容と個々の子どもの特性の間にギャップがある場合、その子どもに適した学びの機会が十分に提供されないまま、結果としてその子の可能性が広がりにくい状況が生じることがあります。
子どもの学びたい意欲をどう支えるか
保護者のEさんとの会話の中で印象に残ったのは、以下の言葉でした。
「子育てで唯一かつ最大のポイントは、子どもの邪魔をしないことだと思います。」
Eさんは「学力」というものを一つの指標として捉えつつも、それが人間らしく生きるための全てではないとおっしゃっていました。
子どもの学びの方向性を大人がコントロールしすぎることが、かえって意欲を損なう可能性があるのです。
子どもが勉強したいことと大人が勉強してほしいことのギャップ
本を読んで気づかされたのは、子どもが学びたいことと、大人が「これを学んでほしい」と期待することが一致するのは、むしろ稀なケースだという点です。一致している場合、その子は称賛され、環境的にも生きやすくなります。
しかし、多くの子どもはそうではありません。大人の期待する学びが現代社会で必要とされる知識や能力であることが多い一方で、それが子ども自身の興味や特性と一致しない場合、子どもにとっては生きづらい世の中になってしまうのです。
たとえば、子どもがアートや音楽、ゲームといった「社会的に評価されにくい領域」に熱中している場合、大人の期待との間にギャップが生じます。そのギャップを埋めるために、「これが今の社会で必要な知識だから」と無理に詰め込もうとすると、子どもの学ぶ意欲が損なわれることがあります。
大人の役割とは
本書の中で強調されていたのは、大人が「子どもの学びの土壌」を整えることの重要性です。それは、子どもの興味関心を認めつつ、その興味を深めるための手助けをするということです。学びとは、単なる点数や結果ではなく、日々の生活や興味の中から深められるものです。
Eさんも同じように「子どもの学ぶ意欲を失わせないことが大人の責任」と述べていました。特に言語習得や知識の積み重ねが持つ本来の意味を見失わないことが重要だと感じます。
最後に
私たち大人が、子どもに「何を学んでほしいか」を押し付けるのではなく、「子どもが何を学びたいか」を共に考える視点を持つことが、これからの教育にとって重要だと思います。たとえその「学び」が一見遠回りに思えても、子どもが自らの意欲を持って取り組むことこそが、最終的には本当の意味で社会で生き抜く力を養うのではないでしょうか。
教育現場で日々子どもたちと向き合う中で、学びの本質を問い直し、大人としての役割を再考するきっかけとなったこの本を、多くの人に読んでほしいと思います。
学力喪失 (岩波新書)認知科学による回復への道筋
佑啓塾への問い合わせはこちら
サポーター登録はこちらから
Comments